森絵都さんの小説「みかづき」を読み終えました。
書店にあった時から気になっていたのですが、最近文庫化されたことで読んでみようと思いました。
本当に買ってよかった!と思える内容の深い素晴らしい小説でした。
読み終わり家族にも是非読んでみて!と、薦めています。
本日は、そんな素晴らしい小説「みかづき」の題名みかづき、これがとても深い意味があったことにまた感動しましたので、この「みかづき」の意味について書かせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。
森絵都作【みかづき】の名言とみかづきが意味する深い意味に感動!
※ネタバレになりますので、できましたら小説を読んでから見て頂きたいです。
この物語でいうところの太陽は学校、月は塾です。
戦後間もない頃は、それはそれは文部省から目の敵にされていたのが塾でした。
時代とともに、塾と学校の関係性が変化していくのも面白かったです。
千明の性格
戦後間もない頃、千明と吾郎夫婦は二人で、小さな私塾を千葉の八千代で開きます。
千明の性格は、苛烈ですが、教育にかける思いは凄まじいものがあります。
そして、自分が理想とする塾を経営する努力も人一倍どころか二倍三倍しています。
千明は、戦前お国の為にという教育を学校で受けてきます。
それなのに、敗戦後、民主主義の名のもと全く違う教育指導を始める学校というもの、また文部省というものが信じられなくなります。
そして、千明の中の教育への理念は、自分の頭で考えられる子どもを育てることとなります。
わたしも、今現代の教育を見ていて、自分の頭で考えられる子どもが少ないのではないか?と時に心配になります。
今の時代何か分からないことがあれば、ネットで調べればすぐに答えが出ます。
その答えがあっているかどうかも分からないのですが、子どもはそれがさも真実であるかのように話します。
また、テレビのニュースや、教科書を読んでこれは本当のことなのか?と疑うこども(大人も)がいるのだろうか?とも心配してしまうのです。
吾郎の性格
夫である吾郎は、のんびりやで、婦女子の誘惑に弱い男性です。
テレビドラマでは、ハレンチでごめんなさい!と自分で言っています・・・。
しかし、勉強を教えるという点において天才的です。
吾郎のこどもへ勉強の教え方は、子どもが自分で答えを導きだすのを静かに見守るというスタイルです。
そして、吾郎は何よりも子どもと共に学ぶことが本当に大好きです。
そんな性格の正反対の二人が小さな塾を経営していきます。
塾は、時代の流れと共にどんどん発展・拡大していきます。
時代の変化により、自分が最初に持っていた理念より企業としての塾を維持・発展していこうとする千明と、子どもの段階に合わせた学習指導をしていきたい吾郎の間で徐々に亀裂が入ってきます。
そして、塾長であった吾郎をついに千明は退任まで追いやます。
吾郎はその後行方知れずになります。
(ですが、3人の娘たちにはちゃんと手紙を欠かさず送っています。)
行方知れずになった時、海外を渡り歩くのですが、アジアの学校の校長先生になり、現地の熟女たちにモテモテだったそうです。
吾郎って、どうも母性本能のくすぐる所がありますから。
千明と吾郎が再会
それから20年の月日が流れ、千明と吾郎は再びある出来事がきっかけに再会します。
二人きりになった時に、吾郎が千明に言います。
「君は、どこまでも飛んでいくナイフのようでもあるし、けっして満ちることのない月のようでもある」と。
みかづきとは、決して満ちることのない月である千明のことでした。
満ちる為に教育界を猪突猛進で、進み続けていた千明です。
しかし、自分の死を悟った時、入院中にでさえ山のように積もっていた教育関連の書籍がいつの間にかなくなり、最期、病室の枕元にあったのは、孫が描いた家族の似顔絵だけになっていました。
そして千明は吾郎に言います。
「もう、わたしさすがに満ちるのはあきらめたわ。」と。
でも、わたしは思いました。
この時の千明はもう違う面では、満ちていたのだな、と。
満ちて、最期が迎えられて本当によかった!と思いました。
また吾郎が56冊目の自分の書籍に「みかづき」とも名付けているのです。
この吾郎が出した「みかづき」は、自叙伝でもありました。
そして56はごろう。
自分の名前も吾郎。
自分のダジャレで、本の出版の祝賀会で一人で受けて笑うも、お客方はしーーん。
吾郎は、昔から自分のダジャレに自分で肩を震わせて笑うという特技の持ち主です。
でも、さすがは吾郎です。
最後にこんな言葉で挨拶を締めます。
それから妻は、こんなこと話をしました。
これまでの時代、いろいろな時代、いろいろな書き手の本を読んできて、一つわかったことがある。どんな時代のどんな書き手も、当世の教育事情を一様に悲観しているということだ。
最近の教育はなっていない、これではこどもがまともに育たないと誰もが憂い嘆いている。
もっと改善が必要だ、改革が必要だと叫んでいる。
読んでも読んでも否定的な声しか聞かれないのに最初は辟易したものの、次第にそれはそれでいいかもしれないと妻は考えはじめたそうです。
常に何かが欠けている三日月。
教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。
欠けている自覚があらばこそ、人は満ちようと、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と。 出典:みかづきP662
これは、千明や教育現場に限らず、どの人やどの職種にも当てはまる言葉と思いました。
もちろん、私自身にも。
小説の最後で、この吾郎のセリフが来た時には、胸が打たれました。
小説では、20代の千明と吾郎から70代の千明と吾郎までが書かれている壮大な物語です。
そして、その子どもや、孫まで出てきてとても賑やかで素敵です。
そして、なんと、吾郎の孫の一郎が貧困家庭の子ども為に子どもが勉強できる会を作ります。
その会の名前が「クレセント」訳して、三日月なんです!
一郎は、教育関係には父や祖母を見てきて、絶対関わりたくないと思っていました。
しかし。ある出来事がきっかけでどっぷりと、はまることとなります。
さすが大島家の孫!
そして、三日月と名付けたことにも、祖母千明との不思議な縁を感じずにはいられません。
小説【みかづき】での名言
この本の中では、たくさんの素敵な言葉が出てきます。
でも、わたしにこれは、もう千明の最後に言った言葉です。
常に何かが欠けている三日月。
教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。
欠けている自覚があらばこそ、人は満ちようと、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と。
千明は、自分の人生を教育という世界に捧げました。
そして、彼女は悩みながらも最後まで教育と向き合う事をやめませんでした。
その彼女が最後に言った上記の言葉。
重みと深みがその辺の薄っぺらい教育評論家の言葉とは違います。
この彼女の言葉こそが「みかづき」の名言だとわたしは思います。
最後に
小説「みかづき」は、読まれることを是非お勧めします!
これだけ、感動して心温まる本には久々に出会いました。
読まないと人生損をすると思います。
なかなかの長編ですが、読み始めると面白さに引き込まれ、あっという間に読み終わっていました。
そして、なんと本の帯をみて知ったのですが、1月26日から連続5回でNHKで高橋一生さんと永作博美さん主演で、ドラマ化されるそうです。
これは、是非見ないと!
吾郎のイメージは、わたしの中では高橋一生さんとピッタリです。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
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