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京都行事編

八坂神社の主祭神は、スサノオミコトではなく、牛頭天王だった!?

色々と祇園祭について調べてみると面白いですね!
歴史を感じます。

祇園祭で用いられる三基の神輿には、スサノオミコトとその奥様とこども達が入られるのですが、何故スサノオノミコトなんだろうとすごく気になって調べてみました。

下記の記事に、三基の神輿の神様の名前を書いています。

祇園祭の主役【三基の神輿】の名前と担ぎ手と掛声は何?重さはどれくらい?

本日は、祇園祭の神輿に入られる神様が、スサノオミコトなのはどうして?という点に絞って記事を書かせて頂きたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

八坂神社の主祭神は、スサノオミコトではなく、牛頭天王だった!?

京都の神社は平安京が出来る前と後では、成り立ちが大きく変わります。

例えば、上賀茂神社や下鴨神社などは、平安京が出来る前からある神社です。

しかし、祇園祭と関係の深い八坂神社は、平安京が出来てから建てられた神社です。

平安京造営で建てられた神社には、御霊信仰・天王信仰に基づいて祀られた神社です。

御霊信仰・天王信仰とはなんぞや?

御霊信仰や天王信仰とはなんぞや?と思いますよね。

都が794年平安京に移り、都市として確立し人口が増加してきても、生活の基盤である生活排水・し尿・死骸などの処理システムがきちんと機能出来ていませんでした。

そして、これらが機能できずに、必然的に起こるのが疫病です。

今の現代科学が発達した日本であれば、原因は生活排水の処理システムができておらず、不衛生な環境のせいで疫病が流行するという事は分かります。

しかし、平安時代ではそれが分かりません。

なので、この疫病は、政争に敗れた怨霊の祟り、あるいは異国からやってきた疫神のしわざであると思われていました。

疫病対策?として、平安時代の人が考案したものをが。「御霊会」です

「御霊会」は、怨霊や疫神がもたらす恐ろしい災厄を避ける為に、怨霊や疫神をもてなし、慰撫し、鎮めて送り出すというものです。

10世紀から11世紀半ばまでが、御霊会の最盛期でした。

八坂神社の主祭神は、江戸中期まで牛頭天王だった!

 

その後、御霊会の対象であった死者の怨霊を、強力な霊威をもった神(御霊神)や、異国の疫神を「牛頭天王」などの神として崇拝する信仰が生まれました。

御霊神や天王神といった新しい神々は、猛々しい霊威によって信仰する人々にかごを与えてくれる頼もしい存在になったんですね。

ついには、八坂神社などの常設の社殿まで建てられるようになりました。

八坂神社は、天王信仰に基づいて創祀されています。

八坂神社の主祭神は、現在スサノオミコトなんですが、近世江戸中期まではインドよりやってきた天王神、牛頭天王とされていました。

牛頭天王の日本独自の物語が、釈日本紀「備後国風土記」です

昔、北海にいた武塔神(牛頭天王の別名)が、妻を娶るため、南海に旅をしていた。

日が暮れて宿を借りようと、まず裕福な巨旦将来という者の家を訪ねたが断られた。

次にその兄である蘇民将来を訪ねると、彼は貧しいながらも粟飯などで厚くもてなした。

数年の後に、武塔神は再び当地を訪れかつて宿を貸さなかった巨旦将来一族を滅ぼしたが、
その中にいた蘇民将来の娘だけは、前もって腰に目印の茅の輪をつけていたため、殺されなかった。

そして、武塔神は、次のように述べたという。

「私は、速須佐雄神である。後世に疫病が流行るとき、おまえは「蘇民将来の子孫」といって茅の輪をつければ、疫病から逃れられるだろう。」

引用:釈日本紀「備後国風土記」

牛頭天王が、スサノオミコトを名乗ってるんですね。

牛頭天王は、インドの神様なので色々考えるとおかしいお話なんです。

しかし、牛頭天王の恐ろしいイメージとスサノオミコトの暴れ者としてのイメージが被って、このようなお話になったものと考えられます。

江戸時代までは、八坂神社は祇園社と呼ばれ、また主祭神は牛頭天王でした。

これが、明治時代の「神仏分離令」により、神にも仏にも分類できない牛頭大王の名前が祭神として使用できなくなりました。

そこで、スサノオミコトに改められました。

牛頭天王の妻にあたる婆利采女(はりさいじょ)は、クシナダヒメに、子どもにあたる八王子は八柱御子神(やはしらみこがみ)にそれぞれ祭神名が改められました。

同時に、仏教色の強い祇園社から八坂神社に改められたんですね。

最後に

祇園祭を紐どいてみると、平安時代の生活に必要な整備ができておらず、疫病が流行りそれを外に追いやるために、始まったものだという事が分かりました。

また、明治時代の神仏分離令がでなかったら、八坂神社は今だ祇園社に、主祭神牛頭大王だったこともわかりました。

ちなみに、祇園祭りで厄除けのお守りとして授与されるちまきに、「蘇民将来之子孫也」と記された御札が付されているも、釈日本紀の説話に由来されているんですね。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

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