Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!
アニメ

【風立ちぬ】いざ生きめやもの意味と誤訳だと言われている理由

ジブリ映画【風立ちぬ】では、生きめやもという言葉はみかけなかったのですが、堀辰夫の小説【風立ちぬ】では、冒頭に「風立ちぬ、いざ生きめやも」が出てきます。

これは、この詩は、フランスの作家、詩人、小説家、評論家であるポール・ヴァレリー『海辺の墓地』という詩の翻訳となります。

本日は、【いざ生きめやもの】意味と、何故誤訳と言われたか?について書かせて頂きます。

どうぞよろしくお願い致します。

【風立ちぬ】いざ生きめやもの意味と誤訳だと言われている理由

映画の二郎と菜穂子の列車での冒頭シーンにこんなフランス語が出てきます。

“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”

これは、フランスの作家、詩人、小説家、評論家であるポール・ヴァレリー『海辺の墓地』という詩の一節です。

これを和訳しますと、「風 吹き起る・・・生きねばならぬ。」となります。

ポール・ヴァレリーさんの原詩は、「風が吹いた!さあ生きよう!」という生への強い意思を感じてさせるものとなっています。

しかし、「風立ちぬ」の著者堀辰雄はこの部分を、「いざ、生きめやも」と訳してるんですね。

これを現代語訳すと、「さて、生きたものでしょうか。いやあ、生きないんだなぁ」
という感じになります。

生への意志の強さよりも諦観の意味になります。

己の生への強い意志を詠じた原詩とは、まったく反対の意味に堀辰夫さんは訳されています。

その為、大野晋、丸谷才一の両碩学による対談で「風立ちぬ」が取りあげられたとき、両者により、堀辰雄は東大国文科卒のわりには古文の教養がないとけなされているわけです。

ただ、【風立ちぬ】の小説の世界は、結核に冒された人達の生活を描いたサナトリウム文学です。

結核は、20世紀前半までは、効果的な治療法のない死病でした。

今でいう末期がんのようなもので、これに罹った人は、自身の命を常に見つめて生きていくことになります。

この詩は、ヴァレリーの「海辺の墓地」の最終節の一句で、詩人が海岸沿いの墓地に立った時の言葉です。

なので、諦観の思いととってもおかしくないと思います。
生と死とを一つのものとして、捉える気持ちがあるようにも感じ取れます。

この【生きやもめ】という言葉は、生の賛歌ではなく、死を厭う物語でもなく、諦観の意味が込められてるようにも感じられます

なので、わたしは、誤訳ではないと思いました。

小説【風立ちぬ】の世界観なら、「生きやもめ」という言葉がとてもしっくりくるのですが、いかがでしょうか?

ここまでお読み頂きありがとうございました。

◆映画【風立ちぬ】関連記事

草(クレソン)を食べている謎のおじさん(カストルプ)の正体は?【風立ちぬ】

【風立ちぬ】カプローニの設計した劇中の飛行機のまとめと名言

【風立ちぬ】冒頭の列車での二郎と奈穂子の会話のフランス語の意味は?

映画【風立ちぬ】堀越二郎が吸っていたタバコの銘柄は何?

 



  おさるの日々のつぶやきはコチラから!

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください