うつってどんなもの?
わたしがうつになって、早6年ほどになります。うつになるというのは、普通は、嫌な事だと思うのですが、わたしは、ずっと自分が他の人と違って弱いと思っていました。病名がついたことで、少しほっとした事も実はあります。
うつってどんなもの?と聞かれても、正直、今一つよく分かっていません。ただ、動けなかったのが辛かった。という記憶は、残っています。
そして、うつにも色んな種類があります。大きく分けて従来のうつと非定型うつですね。最近は新型うつなんていうのも出てきましたね。

~非定型うつチェックリスト~

出典:主な病気の解説
わたしの場合は、手足が鉛のように重くて起き上がれない、1日中なんぼでも眠れる、という事から考えて、非定型うつと言われるものです。
わたしがうつになったきっかけ
うつのきっかけになったのは、おそらくおばあちゃんの死だったと思います。
本当に、大好きなおばあちゃんでした。子どもの頃から、両親が共働きで働いていたので、赤ちゃんの頃から、ずっと面倒をみてもらっていました。今でも、おばあちゃんが、わたしに歌ってくれた子守唄を覚えています。「ねんねんころりーや おこーろりーや。」という歌です。
おばあちゃんは、竹を割ったような性格で、曲がった事は大嫌い、おしゃれで、心が強くて大好きでした。そして、いつもわたしの事を応援してくれて、不登校になった時は、おばあちゃんちの家で過ごしていました。引きこもっている時も、怒るでもなく、そっと見守ってくれていました。(今から思うとおばあちゃんにも心配かけてたんだなあ。その当時はその事さえ気づかなかったです。)
そして、大学に合格できた時、就職した時、結婚した時、子どもが生まれた時、いつも一番傍で喜んでくれたのが、おばあちゃんでした。そして、結婚して、子どもが生まれてからもよく、一緒に出掛けたり、ご飯を食べに行っていました。
そんな元気なおばあちゃんに、ある日、胃がんが見つかりました。病院が大嫌いなおばあちゃんでしたので、健康診断なんて、受けた事がありませんでした。ですので、見つかった時はもう、手遅れな状態でした。おばあちゃんの病院の付き添いなどは、いつもわたしが行っていました。何が辛いって、まるまるしていたおばあちゃんが、げっそりと痩せていき、食べに行くのが大好きなおばあちゃんが、食べ物をほんの少ししか食べられなくなってしまうのを見ることでした。それでも唯一の救いは、痛みがなかったことです。本当にそれだけは良かったです。
うちのおばあちゃんは、末期になっても、よく出かけていました!すごいです!わたしもなるだけ、おばあちゃんの気持ちが明るくなるようにと、一緒にいるようにしました。そして、一緒に音楽コンサートにも行きました。
わたしが辛いなあ、と感じたのは、息子がその時まだ、保育園の年長さんだったんですね。まだまだ甘えたで、わたしにべったりな時期でした。そして、敏感な子でしたので、わたしがおばあちゃんを優先しているのを感じとったのか、息子に「なんで、いつもおばあちゃんばっかりなん?」と言われて、少しきつく息子に言ってしまった事は、今でも心のどこかにひっかかっています。
そして、この時パートをしていました。やはり迷惑がかかるから、なかなか休めなかったです。しかし、おばあちゃんの余命が、もうほとんどないと分かっていたのなら、もっと早く休むか辞めるかして、おばあちゃんの傍にずっといてあげたらよかった・・・。との後悔が今でも付きまといます。休もう!と決めた、1週間後に祖母は亡くなりました。
ある冬の寒い夜、おばあちゃんの家を訪ねた時に、おばあちゃんは、大量に血を吐いた後、ジュースが飲みたいと言って、ジュースを飲ませてあげた後、亡くなりました。それでも、最後に一緒にいられて本当によかったです。もし、ある夜おばあちゃんの家に行かずに、おばあちゃんが亡くなってから家を訪ねたら、自分を絶対許せなかったと思うから。
その前から、おばあちゃんが、悪くなっていくと同時に、わたしの身体にも変調が起こっていました。突発性難聴に突然なりました。(さすが突発性というだけあって、本当に突然でなりました。)主人に、耳がおかしいと言ったら、すぐに病院に連れて行かれ判明しました。早い段階の処置のお陰で有難い事に、耳が聞こえなくなるという、後遺症は残りませんでした。
この時、おばあちゃんがわたしに言ったその言葉をわたしは、この記事を書いて思い出しました。わたしが、突発性難聴になった時、おばあちゃんは、「大丈夫?無理しないでね。」とすごく気遣ってくれました。自分が、末期がんなのに。そんな、おばあちゃんの強さと優しにわたしは涙がでました。この時、おばあちゃんみたいな人になりたい!!と強く思いました。
そして、祖母が亡くなってからは、大好きな人が亡くなった悲しみと、あと、自責の念がずっと付きまとっていました。それでも、仕事や家事・子育てがあるので、なんやかんやと動いてはいました。しかし、だんだんと夜寝ても、起きられない、身体が動かない。どれだけ寝ても寝られるとい症状がれ、顕著になってきました。わたしは、その当時精神保健福祉士として、働いていたので、うつについても知っていました。ですので、こらあ、多分うつだなあ、病院いかな!とわりと早い段階で気づき、自分で病院に行きました。そうしたら、案の定うつでした!!
またまた、過去話になってしまいました。読んで頂き本当にありがとうございます。
うつになって、まだ直ってはいませんが薬は半分減りました。今は、それも、もう半分にしようかという所まで来ています。その経緯なども、今後お伝えしていきたいと思っています。(つづく)
https://heart-to-heart.jp/983.html

