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映画

【言の葉の庭】万葉集の短歌とその意味とは?二人の気持ちが切ない

映画【言の葉の庭】、とても素敵でした。

じめっとして、うっとおしい梅雨も好きになれそうな、そんな映画でした。

この映画の中には、万葉集の 柿本人麻呂が詠んだ短歌が出てきます。

それがまた、この雨を描いた映画と合っています。

この歌の切なさも、二人の心情を表わすのにぴったりの歌でした。

本日は、映画【言の葉の庭】に出てきた万葉集の短歌と、その意味についてご紹介したいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

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【言の葉の庭】万葉集の短歌とその意味とは?二人の気持ちが切ない

この映画の主役は、15歳の少年である孝雄と、27歳の女性雪野です。

物語は、この二人が雨の日に庭園の東屋で出会う事により始まります。

孝雄と雪野は、雨が降るたびぶ東屋で出会い、少しずつ親しくなっていきます。

そんなある日。

雪野は、庭園での別れ際に孝雄に向けて歌を詠みます。

雷神(なるかみ)の少し響(とよ)みて さし曇り

雨も降らぬか 君を留めむ

孝雄は、意味が分からず呆然としています。

この短歌、門答歌の中の相聞歌というものになります。

「問答歌」とは、「問い」と「答え」が対になった歌を言います。

その中で、男女間の恋に関するものが「相聞歌」になります。

雪野が詠んだ歌が、問いになってたんですね!

この歌の意味は、

雷が鳴り響き雨でも降ってくれないであろうか
そうすれば、あなたをこの場に引き止めることができるのに

となります。

後日、孝雄は雪野に歌を返します。

一生懸命に孝雄は、雪野が歌った歌を思い返し、探したんだろうなと思うと、微笑ましいです。

雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて

降らずとも 我は留らぬ 妹し留めば

この歌の意味は、

たとえ、雷が鳴り響いたり雨が降らずとも
あなたが引き留めるなら私はここにいる。

となります。

雨の日にしか会えない二人の、切ない恋心を歌った短歌です。

現代の「恋」という漢字は、万葉集の時代「孤悲」と書かかれていました。

平安時代は、通い婚だったので女性が一人待恋しい人を待つという意味が強く、ウキウキするような恋ではなく。悲しく孤独な恋心を詠んだ歌が多かったのでしょうね。


映画で、雨の日にこの万葉集を読む二人が、とても素敵だな、と思いました。

でも、きっと晴れの日に、孝雄が作った靴を雪野が履いて歩いている未来が想像できる終わり方でした。

最後に

梅雨に見ると、心がさわやかになり、雨もいいかもしれない、そんな風に思える素敵な映画でした。

45分という短い時間の中に、ギュッと切なさや愛おしさが濃縮されています。

是非一度ご覧ください。

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