葵祭になると父がいつも、鯖寿司を持ってきてくれます。
今年も5月15日に鯖寿司を持って来てくれました。
今年は、何故鯖寿司を葵祭の日にわたしは、毎年食べているのか?がふと気になり
今回調べてみました。
本日は、鯖寿司について何故京都ではお祭りの日に食べるのか?
また、出町柳橋にある石碑の鯖街道と鯖と何か関係があるのか?
鯖について書かせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。
なぜ京都では、お祭りの日に鯖寿司を食べるのか?
鯖寿司は、京料理の1つで昔から京都の家庭で祭りなど晴れ日に、鯖寿司が作られていたそうです。
ご馳走だった訳ですね。
この現代で晴れの日を飾るお魚と言えば、鯛が思い浮かびます。
鯖は、スーパーなどにもよく売られていますし、普段の料理というイメージがあります。
何故なんだろう?
と調べてみますと、【鯖街道】と言う言葉に行き当たりました!
昔は、鯖がとても貴重だったと分かりました。
鯖街道で分かる鯖の貴重さ
鯖街道とは?
その昔、若狭湾から京都まで歩いて鯖を運んできた道を【鯖街道】と申します。
鯖を若狭から京都まで運んできた道は、5本あったそうです。
その中でも、一番盛んに利用されていた道が、小浜から熊川宿を通り滋賀朽木村を通って、大原から鯖街道の終点と言われる出町に至る若狭街道です。
鯖街道で命を落とすことも
若狭から出町まで、行商人が丸1日かけ歩いて鯖を運んで来てくれていたんですね。
そらあ、貴重なものですよね。
その当時は、もちろん車も列車も冷蔵庫のような文明機器がない訳です。
鯖など足が早い、食べ物は生鯖を塩でしめて、腐らせないように急いで鯖街道を行商人が運んでくれてました。
夏場は運び手が多かったそうですが、冬場は寒冷な峠を越える為運び手が少なかったそうです。
行商人の中には、冬峠を越える時に命を落とす人もいました。
この冬鯖。
寒さと塩で身をひきしめられ、それはもう美味だったそうです
何故、鯖を京都ではお祭りなど晴れの日に食べるのか?
それは、鯖街道で運んでくれた行商人が若狭から必死で、京都まで運んでくれた貴重なものだったからでした。
塩でしめて、鯖を運ぶというのは、昔の知恵であり工夫でありました。
わたしも、ぼーっと父からもらった鯖寿司を食べている場合ではありませんね。
昔の行商人に想いを馳せて、来年からは先人に感謝して鯖寿司を頂こうと思います。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
◆京都の食べ物関連記事