チコちゃんに叱られる!?
本日のお題は、関東より関西の方が味付けが濃いのはなんでじゃほい!?
あなたは答えられましたでしょうか?
関東の味付けが濃い理由はなんじゃらほい!?

答え
徳川 家康でした!!
今回解説して下さったのは、食文化研究化の永山さんです!
よろしくお願い致します。
荒れ放題の江戸城
時は遡り 400年前の江戸時代
豊臣秀吉の天下の時代、秀吉は家康に関東一円の広大な領地を与えます。
家康が、関東に入り目にしたものは、未開発の湿地帯とボロボロの江戸城でした。
一説には、豊臣 秀吉が徳川家康の財力を使わせる策略だとも言われています。
さすがは陰険! 豊臣 秀吉!
家康、奮闘し町おこしする

しかし、徳川 家康は奮闘します。
まずは江戸城の作り直しからスタート!
巨石の運搬や川づくりなど史上まれに見る大工事が行われました。
この大工事の為、全国から人が江戸に集まってきました!
江戸の町の労働者に必要なものは?
労働者に1人に必要なご飯の量は、なんと玄米1升!!=お茶碗18杯分(すげえ!)
この玄米をよりおいしく食べさせて、労働力を上げる方法と、真夏の作業で塩分をとるために考えられたのが
御飯が進むおかずと塩分補給だったのですね!!
というわけで、必然的に味付けが濃くなっていったんですね!
味の濃いおかずで、高い労働力が保つことができました。
そのおかげ、江戸の人口が100万に超えしました!
濃い味付けの威力すげえ!!
つくだ煮や大根の塩漬けなどのおかずが、庶民にも広がり関東に味付けが濃い文化が定着していきました。
なんでも歴史があるんじゃなあ。
余談 関西の味付けが薄い理由は?
ちなみに関西は、でっち奉公が多く、給料の代わりに食事が出されました。
味が濃いおかずを出すと、ごはんを食べすぎるため味を薄くしていました・・・。
そして、、関西に薄味が定着したとな・・・。
チコちゃんいわく薄味でなく、ケチ味。
ナイスだ。ちこちゃん。
最後に
諸説ございますが、関東の味付けが濃いの、徳川 家康が集めた全国からの労働者にご飯がすすむおかずと塩分補給が必要だったからでした!
ここまでお読み頂きありがとうございました!
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