京都行事編

【2019御禊の儀】が行われる日時と斎院の歴史とは?

本日は、葵祭の前に行われる「御禊の儀」の場所と日時と、斎院の由来と歴史について書いていこうと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

~斎王の由来と歴史~2019年の御禊の儀が行われる日時は?

「御禊の儀」とは、葵祭に奉仕する斎王代以下、女人列に参加する約50名の女性が心身を清める儀式です。

上賀茂神社と下鴨両神社で1年ごと交互に「御禊の儀」が行われます。

2019年は、下鴨神社で行われます。

華麗な十二単(じゅうにひとえ)の衣装に身を包んだ斎王代が葵祭の無事を祈る、平安王朝時代を思わせる雅やかな行事です。

「御禊の儀」は、下記の日程で行われます。

・日時
2019年5月4日(祝・土) 10時
・電話
075-781-0011
・場所
下鴨神社
・住所
京都市左京区下鴨泉川町59
・アクセス
出町柳下車 北へ徒歩約10分最寄り駅
・最寄り駅
出町柳駅

「賀茂斎院制度」とは?

賀茂斎院制度の起源は、平安時代初期に遡ります。

平城上皇がその弟嵯峨天皇と対立して、平安京から平城京へ都を戻そうとしていました。

嵯峨天皇は王城鎮守の神とされた賀茂大神に対し、我が方に利あらば皇女を「阿礼少女(あれおとめ、賀茂神社の神迎えの儀式に奉仕する女性の意)」として捧げると祈願をかけます。

そして弘仁元年(810年)薬子の変で嵯峨天皇側が勝利した後、誓いどおりに娘の有智子内親王を斎王としたのが賀茂斎院の始まりです。

娘さんたまったもんじゃないな、と思うのはわたしだけでしょうか?
戦の道具やん・・・。

ちょっと違うけど、鬼神に息子を捧げて自分の国の繁栄を祈る「どろろ」を思い出しました。

伊勢神宮の斎王(斎宮)に倣い、歴代の斎王は内親王あるいは女王から選出され、宮中初斎院での2年の潔斎の後、3年目の4月上旬に平安京北辺の紫野に置かれた本院(斎院御所)に参入します。

この御所は地名により紫野斎院、あるいは単に紫野院とも呼ばれていました。
(紫野斎院は、現在の京都市上京区櫟谷七野神社のあたりに相当するそうです)

斎王はここで仏事や不浄を避ける清浄な生活を送りながら、賀茂神社や本院での祭祀に奉仕をされておられました。

特に重要なのは四月酉の日の賀茂祭で、斎王はあらかじめ御禊の後、上賀茂・下鴨両社に参向して祭祀を執り行われました。

この時の斎院の華麗な行列はとりわけ人気が高く、清少納言が「枕草子」で祭見物の様子を書き留めており、また紫式部も「源氏物語」「葵」の巻で名高い車争いの舞台として描いています。

鎌倉初期の後鳥羽院の承久の乱(後鳥羽院と鎌倉幕府の争い)により、皇女・礼子(いやこ)内親王を最後に400年続いた斉王の歴史は途絶えてしまいました。

その後、「葵祭」そのものも幕末の動乱や戦争による中断を余儀無くされました。

しかし、戦後昭和28年に再び復活したのです!

昭和31年には、「斎王代」を中心として、女人列が加えられ、現在に至ることとなりました。

最後に

歴史を紐解いてみると、いつも思うのですが面白いなあと思います。
結構、京都は権力争いが多いのですよね。

色んな怨念が渦巻いてそうだ!

どろろと比べてもなんですが、鬼神と神社の神様の違いって何なんだろうとふと思いました。

どちらも神は神だもんなー。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

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