平成31年4月1日に、新しい元号が発表されますね!
新しい元号になるという事で、何故かドキドキしているおさるです!
本日は、今までの元号の由来と提案者と、新元号が発表されてから、新元号の由来と提案者も随時書いていきますね!
どうぞよろしくお願い致します。
目次
【新元号と今まで元号】の由来と提案者一覧まとめ!
江戸時代までは年号と呼ばれ、明治時代以降は「一世一元の制」として今上天皇(在位中の天皇という意味)の在位中は元号を変えない取り決めが定められました。
元号の選定条件
元号の選定は元号法に定められています。
元号の選定条件は以下の6つです。
1. 国民の理想としてふさわしいような、よい意味を持つものであること。
2. 漢字2文字であること。
3. 書きやすいこと。
4. 読みやすいこと。
5. これまでに元号または送り仮名として用いられたものでないこと。(過去の元号は使えない)
6. 俗用されているものでないこと。(人名、企業名、商品名、地名は不可)
令和の由来と提案者
2019年4月1日11時30分過ぎに発表されました!
「令和(れいわ)」に決定しました!
由来は、初の万葉集からの引用だそうです!
平成の由来と発案者
平成は、1989年(平成元年)1月8日~2019(平成29年4月39日)まで。

まずは、4月いっぱいで終わってしまう平成から、いってみましょう!
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。
平成の提案者は、東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎さんです。
昭和の由来と提案者は?

「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代にまったく同じ出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。
国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味です。
昭和は、昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日までが昭和で、20世紀の大半を占めます。
昭和は日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号です!
明治の由来となるまでの経緯
明治は、新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指します。

明示の由来:『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算にして11度目にしてやっと採用されました
聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味です。
岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選しました。
孝明天皇時代の元号(1846年~1867年)
孝明天皇の時代の元号がたくさんあってびっくりしました。
明治時代以降から、一世一元制になったから、これだけ同じ天皇の時代にコロコロ元号が変わっている天皇は、孝明天皇時代くらいじゃないでしょうか?
在位期間中に7つ、元号が変わっています。
慶応の由来と勘申者

慶応は、1865年から1868年までの期間になります。
江戸時代最後の元号です。
この時代の天皇は、孝明天皇、明治天皇。
江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜となります。
『文選』の「慶雲応(まさ)に輝くべし」が由来になります。
奇しくも、この名称に改元する時に、もうひとつあった候補が『平成』でした!ある意味「時代が変わるべき年号」なのかもしれません。
慶雲が、めでたい事の起こる前兆の雲の意ですから決意の程が窺えます。
名付けたのは、孝明天皇。
勘申者は、唐橋在光です。
元治の由来
元治は、1864年から1865年までの期間になります。
この時代の天皇は孝明天皇、江戸幕府将軍は徳川家茂。
元治の由来:『周易』の「乾元用九、天下治也」および『三国志』の「天地以四時成功、元首以輔弼興治」よりきています。
勘申者は文章博士・五条為栄。
文久の由来
文久は、1861年から1864年までの期間を指します。
この時代の天皇は孝明天皇。
江戸幕府将軍は徳川家茂。
文久の由来:『後漢書』謝該伝の「文武並用、成長久之計」より。
万伸の由来
万延は、1860年4月8日~1861年3月29日までとなります。
万延時代の天皇は孝明天皇。
江戸幕府将軍は徳川家茂。
万延の由来は「後漢書」馬融伝の「豊千億之子孫、歴万載而永延」から。
安政の由来と勘案者
安政は、1855年1月15日~1860年4月8日となります。
安政時代の天皇は、孝明天皇。
江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。
安政の由来は「群書治要」38巻の「庶民安政、然後君子安位矣」 から、「庶民が今の世の中の暮らしに満足していれば、治めている君主の地位は安定する。」という意味が込められています。
勘申者は菅原聡長。
嘉永の由来
嘉永は、1848年4月1日~1855年1月15日となります。
嘉永時代の天皇は孝明天皇。
江戸幕府将軍は徳川家慶、徳川家定。
嘉永の由来は「宋書」楽志の「思皇享多祐、嘉楽永無央。」から。
弘化の由来
弘化は、1845年1月9日~1848年4月1日になります。
弘化時代の天皇は仁孝天皇、孝明天皇。
江戸幕府将軍は徳川家慶。
弘化の由来は「書経(尚書)」周官の「弍公弘化、寅亮天地」から。
仁孝天皇時代の元号(1817年~1846年)

天保(1831年1月23日~1845年1月9日)
天保時代の天皇は仁孝天皇。
江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。
天保の由来は「尚書」仲虺之誥の「欽崇天道、永保天命」から。
文政は(1818年5月26日~1831年1月23日)
文政時代の天皇は仁孝天皇。
江戸幕府将軍は徳川家斉。
文政の由来は「尚書」舜典の「舜察天文、斉七政」から。
文化(1804年3月22日~1818年5月26日)
文化時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。
江戸幕府将軍は徳川家斉。
文化の由来は「周易」賁卦彖伝の「観于天文、以察時変、観乎人文、以化成天下」と「後漢書」荀淑伝の「宣文教以章其化、立武備以秉其威」から。
光格天皇時代の元号(1780年~1817年)

享和(1801年3月19日~1804年3月22日)
享和時代の天皇は光格天皇。
江戸幕府将軍は徳川家斉。
享和の由来は「文選」の「順乎天而享其運、応乎人而和其義」から。
寛政(1789年2月19日~1801年3月19日)
寛政時代の天皇は光格天皇。
江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。
寛政の由来は「左伝」の「施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和」から。
天明(1781年4月25日~1789年2月19日)
天明時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。
天明の由来は「尚書」の「顧諟天之明命」から。
後桃園(ごももぞの)天皇時代の元号(1770年~1779年)

安永(1772年12月10日~1781年4月25日)
安永時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。
江戸幕府将軍は徳川家治。
安永の由来は「文選」1巻、東京賦の「寿安永寧、天禄宣明、温飾迎春」などから。
勘申者は、侍従菅原在熙。
明和(1764年6月30日~1772年12月10日)
明和時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。
江戸幕府将軍は徳川家治。
明和の由来は「書経(尚書)」の「九族既睦、平章百姓、百姓昭明、協和万邦、黎民於變時雍」から。
「人々がそれぞれ仲良くして、身分や立場に見合った振る舞いを行い、徳を明らかにすれば世界の共存繁栄がはかられ国民は大いに栄え、また和合する」という意味です。
おさるはここら辺で、気力が尽き果てました。
ですので、元号については、ここまでとさせて頂きます。
申し訳ありません。
最後に
最後に日本で初めて使われた元号について書かせて頂き、これで終わりとさせて頂きます。
日本で初めて元号が使われ始めたのは、大化の改新(645年)からとなります。
大化(645年から650年)
大化(たいか)は、日本最初の元号。
645年から650年までの期間を指すします。
中大兄皇子改め天智天皇の時代になります。
大化の由来:
『書経』(『尚書』)大誥の「肆予大化誘我友邦君」から。
『漢書』巻56の「古者修教訓之官務以徳善化民、已大化之後天下常亡一人之獄矣」から。
『宋書』巻20の「神武鷹揚、大化咸煕」から。
ここまで書いて思ったのが、日本の元号の由来って、中国の古典を由来とするのが多いですね。
仏教も中国から入ってきたし、日本は、中国から文化の影響をものすごくうけているんだなあ、と改めて思いました。
新元号も、中国古典から来るのでしょうか?
ここまでお読み頂きありがとうございました!
明日の新元号の発表楽しみですね!
参考・出典
・元号法(Wikipedia)
・元号一覧 (日本) (Wikipedia)
・元号(Wikipedia)